ブロック・パーティは、都市の中のひとつもしくはひとつの区画以上の路上で、時には安全上の理由から交通を遮断してもパーティを開催することだ。同じように、公園で開かれるパーティをパーク・ジャムと呼ぶ。ブロック・パーティをストリート・パーティと呼ぶなら、それは世界各地に見られる。ヨーロッパやUKにアジアにもあるだろう。一方、アメリカではブロック・パーティは極めてニューヨーク的なイベントとして捉えられてきたといっていい。都市の交通を遮断してまでパーティが優先されるのは、アメリカ人が日本人に比べてお祭り騒ぎが好きだからではなくて、第一次世界大戦時、近所から遠い戦地に赴いた兵士たちを想う人々が集まっての愛国歌の詠唱やパレードというカルチャー/社会の要請としてブロック・パーティが始まったからだ。そして実はなによりも、僕たちがこのような音楽の持ちえる恒久的な力に思いを馳せることができるのは、1970年代のニューヨークのブルックリン、ブロンクス、そしてクィーンズでのディスコとヒップホップのDJたちが僕たちに与えてくれた展望があるからで、こうしたブロック・パーティのイメージは、その後プロモーション・ヴィデオの映像やイベントのタイトルに取り入れられ、メディアを通じ離散し世界中の想像力を刺激した。キミドリのメンバーとして90年代前半の日本のヒップホップの歴史の草創期に登場したDJ/アーティストのクボタタケシは、そのほぼ10年前に住んでいたニュージャージーから、ある日ヒップホップ映画『ビートストリート』を観るために、そしてチャイナタウンで見掛けたブルース・リーのパンチ&ジュディ人形を求めてマンハッタンへ向っていた。同じ区域の他の映画館ほとんどではポルノを上映していた時代、空席の目立つ42丁目の映画館のひとつで観ることができた『ビートストリート』の全てを彼はそれ以来忘れたことはない。映画でのパーティは屋内で行われる設定だが、どこをとっても海賊的なブロック・パーティ流儀でヒップホップ・パーティの原型だ。クボタタケシは1970年代のブロンクスのブロック・パーティには出かけたことはないが、こうしてヒップホップは彼の頭に移植された。ちなみにブルース・リーの人形の方は見当たらず、店主は昨日まであったとお決まりの文句を口にしただけだった。

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