『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎
●自己解剖の勇気-①

日本人はつい自己を絶対化する癖があります。それが昭和を曲げさせたと私は思っています。

まだ、明治の人には、自分を相対化する能力がありました。

日露戦争までの間、日本人は全員がノイローゼのようなものでした。

極東の小さな国の、資源も何もない国でどうやっていくか。漱石などはロンドンで本当のノイローゼになって帰ってくるわけですね。そして大学の先生を続けるということも、物憂くなってやめてしまう。

 

評論家の山崎正和さんは明治の知識人を不機嫌だとおっしゃった。山崎さんのおじいさまに当たる方は、熊本医大の学長で、熊本県の横井小楠の研究もされた。医師でありながらもそういう仕事をされた方ですが、きっと山崎さんは小さいときにおじいさんを見ていて、不機嫌そうだなと思ったんじゃないでしょうか。

 

明治の代表的な知識人たちは不機嫌そうに見えた人が多かったかもしれません。むろん留学経験のある人が多かったのですが、奥さんとの間に会話がなかった人もいたと思います。奥さんの知的な感受性に物足りなさを感じる人もいたでしょう。だからつい、家の中では無口になって不機嫌になっている。

 

そしてまた日本のことを考えると、自分が見てきたヨーロッパと全く違います。こんな日本がどうしてなんとかなるんだろうか、なんともならないんじゃないかと、何を考えても憂鬱になる。漱石のロンドンにおける憂鬱とは、むろん彼自身が英文学をやってよかったのかしらと思う気持ちにあります。

 

漱石は英文学の非常な秀才ではありました。しかし、本当は漢文と漢詩の好きな人でしたから、英文学に少しずつ行き詰まり、生涯を託する精神の気迫を失っていったのではないかと思います。では具体的には何が憂鬱なのかといえば、ロンドンで日本人であることをさらしていることでしょうね。

 

漱石の英語はそんなに流暢なものではなかったでしょう。いまの英語のできる青年たちに比べたら、漱石の話す英語は重いものだっただろうとは思います。何やかやで、漱石という人はやはり不機嫌に、とうとうノイローゼになっていく。

それが明治期でしたね。

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