『この国のかたち-六』ー司馬遼太郎
●言語についての感想-①

 

✪学校の教課内容に、「国語」が存在する。なぜ存在するのかなど考える必要がないほどに自明のことになっているが、かってはそうではなかった。

明治以前、どの藩校、有名私塾、あるいは民間の寺子屋にも、国語教育というものは存在しなかった。藩校や有名私塾で教えられるものは漢学で、寺子屋にあっては読み書き・そろばんのみであり、その読み書きについても、市民生活に必要な書簡や帳付けのための基礎教育をほどこす程度のものだった。

 

国語教育がはじまるのは、明治になってからである。それも、すぐではなかった。明治維新の目的を洗ってみれば、植民地化されることから脱するための富国強兵ということであり、(この目標においては、その後に展開される自由民権運動も同心円のなかにあった)、そのために徹底的な文化大革命がおこなわれた。教育の面でも同様であった。

新政府は、旧幕府所有の洋学機関を接収し、これを開成学校・医学校と改称し、やがて法学・理工科系を大学南校、医学系を大学東校とし、明治10年の東京大学の成立にまでいたる。この間、国語学・国文学を研究教授する機関は、国公立学校には存在しなかった。理由は、それらは固陋(ころう)だというひとことに尽きていたらしい。

 

薩摩人森有礼(1847~89)は、慶応元年(1865年)藩命によって18歳でロンドンに留学したため、日本的教養もすくなく、幕末における志士活動の経験もなく、革命の果実だけを食う幸運を得、いわば藩費でできあがった質のいい坊やという一面をもっていた。

かれは明治3年(1870年)から9年間、小弁務使として駐米したとき、おそらく欧化しがたい日本に絶望したのであろう。日本はだめだという理由を日本語に求めた。

この時期、医学や理化学用語の一部以外は日本語訳(漢訳)されておらず、西洋の諸概念さえとらえる能力を日本語はもっていなかったから、森の絶望も無理からぬことであった。

 

 


#国語 #明治 #教育

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