『歴史のなかの邂逅ー四』-司馬遼太郎

●日本人の名前ー③

✪西郷の弟は、西郷従道(つぐみち)である。のちの元帥・海軍大将・侯爵だが、かれは幕末では通称の信吾で通っていた。信吾は幕末ではイトコの大山弥助(巌・いわお)、中村半次郎らと共に、兄吉之助の手廻りにいて活動した。

かれも、姓名を届け出ねばならないが、この場合、係りの役人がやってきて、それが届を出してくれたらしい。その役人が、
ーーお名乗り名は、どう申されるのでございましょう。

とでも聞いたのであろう。

「ジュウドウじゃ」

と、かれは答えた。かれも西郷家の一員である以上、隆の字がつく、ほんとうは隆道(たかみち)であった。かれはそれを音(おん)でよんでリュウドウといったつもりが、薩摩なまりではリュウがジュウに聞こえる。あわて者の役人が従道と書いてしまい、それを届け出た。

「なるほど、おいは従道か」

と、あとでかれは大笑いしたというから、この兄弟はそのユーモラスな雰囲気で共通している。
大山巌は、西郷とはイトコ同士であるということはすでに述べた。生家も近所で、西郷が京で薩摩藩の藩外交を切り回していた頃、つねに身辺にいた。

「弥助どん」
と呼ばれた。戊辰戦争では薩摩の砲隊長として活躍し、のち四斤(しきん)砲を改良したことがあり、この砲はかれの名をとって弥助砲と呼ばれた。

しかし明治後、弥助ではいやだったのであろうか。といって名乗りのほうもいやだったのか、まったくべつの「岩(いわお)」という名を届け出た。
「大山岩か」

と、人は笑ったらしい。かれは少年の頃からずっと西郷に親炙(しんしゃ)し、できれば西郷のような人柄でありたいと思った。そういう思いが岩の字になったのかもしれないが、のち岩では落ち着かぬような気がして、巌という文字にあらため、改名届を出した。



#西郷従道(信吾) #大山巌(弥助) #親炙(しんしゃ)

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