『逆・日本史 1』-樋口 清之

●松尾芭蕉は忍者か?

 

✪今から670年前、箱根山において繰り広げられた新田氏と足利氏の戦(いくさ)が僅か四日半後には、今の奈良県まで伝わったということが古文書に記されている。

 

箱根から奈良まで120里、約500㎞を人間の力で情報を運んでいったのである。すでに、このころ情報の伝達を職業とするプロの集団がいたらしい。

世界的に見ても、資本主義が発達、成長しなければ、このような専門情報家は存在していない。驚いたことに約1400年前、聖徳太子は情報収集のため専門家を養成していた。それが大伴細人(おおとものしのび)であり、後の伊賀忍者のルーツであると言われている。今でも伊賀上野あたりの伊賀忍者の末裔の家には聖徳太子の掛け軸が掛けてあるという。

 

戦国時代には、透波(すっぱ)、乱波(らっぱ)などと呼ばれている。江戸時代には、伊賀・甲賀・雑賀などの集落ではほとんどが忍者を職業としていた。彼らは領主によって統治されることを嫌い、金さえもらえばと゜この味方にでもつくという、大名にとっては厄介な存在であった。

 

この無法集団をうまくまとめたのが「藤堂高虎」である。家康から譜代なみの扱いを受け、伊予・宇和島から伊勢の津に転封させられた。そこで高虎は忍びの衆の実力者”服部半蔵”の子ども”新七郎”を養子にとり、彼を伊賀上野城に侍大将として据えた。

これにより、半蔵の家来たちが、全面的に高虎に服従したのである。

 

---また、伊賀上野出身の俳聖”松尾芭蕉”はもともと藤堂家の家臣であった。すなわち養子”新七郎”の子、主計良忠(かずえよしただ)の近習であったが、良忠の死後、俳諧の道に入ったといわれている。こうした出自や俳人として全国を旅して廻ったことから出てくるのが”松尾芭蕉”=忍者説であるが、はっきりとは、わかっていない。

 



#松尾芭蕉 #伊賀忍者 #高虎

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