『十六の話』について-司馬遼太郎

 ●仏教について-② 

✪仏教では、人間は五つの要素から成っている(五蘊・ごうん)とされています。死は、五蘊が分解し、虚空に散ります。となると、さきにのべた法然、一遍、親鸞の思想でいう「彼岸」(あるいは浄土)へは、人間を組成する何が行くことになるのでしょう。行くべき何物も人間は持たないのではないでしょうか。

従って彼岸とか浄土とかいうのは、単なる死のやすらぎにすぎない、ということになりかねません。

このあたりの矛盾もしくは疑問について13世紀以後のひとびとは薄々気づきつづけていたために、右の3人の偉大な思想も、いまでは多分に人々の死を荘厳にするための儀式--つまり葬式--だけをおこなうという結果に、成りはてているようにも思えます。

禅を修行して真の自由(解脱)を得るというのも、過去に多くの天才がいたとはいえ、普通の人間では為しがたいものです。ひょっとすると、禅は百年に数人出る天才のための教義ではないか、と思えたりします。

 

以上、13世紀に成立した日本人の思想の二つの体系(浄土教的なものと禅的なもの)がたがいに矛盾するところもあるにせよ、その後の日本人の死生観、自然観、あるいは芸術観にあたえた影響は計り知れないものがあり、いまなお形を変えてつづいています。あるいは、潜在化しているともいえます。

 


#浄土 #禅 #思想

ナイスしてくれた人(35

  • j.nickName
  • j.nickName
  • j.nickName
  • j.nickName
  • j.nickName
  • 35

次の投稿

前の投稿

#浄土を含む投稿

Official

realinfo

瞬間、瞬間を生きる。

人間の価値は、社会に対してどれだけプラスの影響力を与えることができるかにかかっている。

realinfoさんの最近のフォト

Simplog

便利なアプリをダウンロード

iphone QRコード
App Store
Google play

簡単ブログを
はじめてみましょう!

Simplogについて

ここに写真をドラッグ&ドロップ

ファイルを選択

※2MBまで