『この国のかたちー四』-司馬遼太郎
●士について-③

✪私事だが、「翔ぶが如く」という作品を書いたとき、なにぶん近い時代であるために、できるだけ書簡や記録、あるいは良質な伝承などから離れまいと心掛けた。当初は、村田新八を主軸にして書こうと考えていたが、不可能だと気づいた。新八自身、無口で、みずからについて書いたり語ったりすることがほとんどなかったからである。

かれは、当時の流行語でいう新帰還者だった。明治4年、岩倉具視や大久保利通らとともに欧米を数年にわたって視察し、明治7年に帰国した。当然ながら新政府にあって大久保に次ぐ地位に立つべき運命を持ちながら、その"幸運" をすべて捨てた。明治7年、帰朝後、新八は横浜から栄達が待っている東京に向かわず、そのまま西郷のいる鹿児島に帰り、ともに死んだ。

このときの新八の選択を、当時の人々がさほど異としなかったのは、時代が新八とおなじ士風を共有していたからと言える。
新八は、武士にはめずらしく三味線が好きで、名手だったとされている。
よほど音楽が好きだったのか、ヨーロッパで手風琴(アコーディオン)を買い、すぐ習熟した。

#村田新八 #手風琴(アコーディオン) #翔ぶが如く

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