『十六の話』について-司馬遼太郎

 ●仏教について-① 

✪私ども日本人がふつう「仏教」とよんでいるのはおもに13世紀の日本仏教のことで、むしろ釈迦との直接の関係はうすいと考えていただくほうがいいと思います。

12世紀末の日本で、農民層から群がり出た武士が、政権をにぎるという事態がおこりました。かれらは土地制度を改革し、倫理観まで一変させただけでなく、造形美術の面でも、その影響でリアリズムが中心になりました。

この世紀に、日本的なユートピア願望の宗教がうまれました。ただしこの場合のユートピアは地上にはなく、死後の世界--彼岸--にありました。彼岸にゆくためには、すべての宗教的な手段を捨て、ひたすらに彼岸にゆきたい、とのみ念じつづけよ、という宗教思想でした。

 

その思想の代表的人物は、法然、一遍、親鸞でした。かれらは、捨てることを勧めつづけました。自己否定をしぬいて、ついには、「彼岸にゆきたいと念ずるそのはからいをも捨てよ」という意味で、いわば形而上性の高いものです。

それだけにかれらの望む精神に達することは困難なのです。この宗派群(セクツ)は信者に対して点数も甘く、ルーズといってもいいほどの広い許容性をもっていましたが、一方、禅における「捨てよ」は、白刃のように厳格そのものでした。

禅は、人間本来(うまれたときは)無一物(むいちもつ)である、だから欲望にとらわれてはならない、という執着否定の精神の上に立ち、しかもその執着を否定したいというその自戒さえ捨てよ、というのです。

 

天地の本質は、数学上のゼロの本質に自分自身を同化させたとき、真の「自由」が得られるというのです。この「自由」こそ、禅の極致であるとされていて、解脱(げだつ)ともいいます。

ここで、言い添えておかねばならないのは、仏教は本来無神論であり、霊魂否定の宗教であるということです。

 


#仏教は無神論 #禅は解脱 #彼岸にゆきたい

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